〇宗旨・天台宗

〇山号・梅柳山

〇寺名・木母寺(別名 梅若寺)

〇本尊・慈恵大師(別名 元三大師)

〇総本山・比叡山延暦寺

 

木母寺は平安時代中期の貞元2年(977)天台宗の僧、忠円阿闍梨が梅若丸の供養のために建てられた念仏堂が起源で、梅若寺と名づけて開かれました。

当寺に今も伝わる梅若伝説は、平安時代、人買にさらわれて、この地で亡くなった梅若丸という子供と、その子を捜し求めて旅に出た母親にまつわる伝説があります。この伝説を元にして、後に、能の隅田川をはじめ歌舞伎、浄瑠璃、舞踊、謡曲、オペラなど、さまざまな作品が「隅田川物」として生まれていきました。この隅田川物を上演する際に、役者が梅若丸の供養と興行の成功ならびに役者自身の芸道の上達を祈念して「木母寺詣」を行ったことから、芸道上達のお寺として広く庶民の信仰を集めるようになりました。

毎年、4月15日は梅若丸の御命日として、梅若丸大念仏法要、古典芸能である「隅田川」の芸能奉納及び梅若忌芸能成満大護摩供を執行します。


木母寺境内え図(明治32年)


【外観】

【堂内】

【本堂】

木母寺のご本尊は、「慈恵大師良源」で、正月三日にご入滅されたことから、元日の元に、数字の三を取りまして「元三大師」と呼ばれています。

元三大師は、霊験の強いことで知られ『角大師』或いは『厄除大師』として有名です。



【外観】

【堂内】

【梅若念仏堂】

このお堂は、梅若丸の母、妙亀大明神が梅若丸の死を悼んで墓の傍らにお堂を建設したものであるといわれています。

四月一五日の梅若丸御命日として、梅若丸大念仏法要・謡曲「隅田川」・「梅若山王権現芸道上達護摩供を開催します。



【梅若塚】

能・歌舞伎・謡曲・浄瑠璃等の「隅田川」に登場する文化的旧跡です。

貞元元年(976)梅若丸が亡くなった場所に、僧の忠円阿闍梨が墓石(塚)を築き、柳の木を植えて供養した塚です。江戸時代には梅若山王権現の霊地として信仰されていました。