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江戸時代、幕府の地誌編纂に参画した三島政行の篇述した「葛西志」(巻18)に記載のある歌帖です。
「葛西志」には詩歌帖三帖とありますが現存するものは2冊だけです。
これは「葛西志」の記述が誤りであるのか、後世1冊が亡失したのかどうか、議論の分かれるところですが、その店は、また後に述べます。
1冊はかなり保存が良いのですが、他の1冊は破損のあとが甚だしく、殊に相当多数の歌、詩、句が剥ぎとられている部分を見うけます。
これは、明治維新から約20年、木母寺が廃絶され「梅若神社」とされた時代がありましたが、その際の混乱時に心ない人びとによって行われた盗剥の結果によるものと思われます。
両巻を合わせると約400の和歌、俳句、漢詩が、それぞれ色紙、短ざくなどになって貼り合わされています。
その主なものは「「葛西志」に記載されております。
「ことゝはん 鳥たにすまて いとゝしく 都にとをき すみたかはかな」 梶井 盛胤法親王
「名に聞て けふこそみつれ 角田川 昔の跡は 梅若の塚」 高松 好仁親王
「しるしにと うへし柳も 朽ちはてゝ 哀れはかりは のこる古塚」 曼珠院良尚法親王
(なお、この良尚法親王は、浅草寺山門に「金龍山」という山号額を書かれた皇族です)
「鳥の名の みやこわすれて 角田川 はや瀬にあかす うたふ船人」 難破中将 宗量卿
「立かへる 日かすはけふか あすた河 都鳥にも 事はとはしな」 下冷泉老中将為景卿
「なく涙 柳に残る 雨の脚」 瀾洲 本多越中守
「角田川にいたりて 名にしぉふ たよりおもはゝ 都鳥 われにことゝへ とはゝこたへん
梅若寺にて 哀てふ 昔おもへは わか袖の うへにもはれぬ 梅の雨かな」 水無瀬前中納言氏成卿
この他、戸田茂、成島道筑など文人墨客の作品が数多くあります。
「葛西志」に掲げた歌句とくらべると現存の2冊の中に有名人の物の大部分が見られるところから三帖とあるのは、その後、2冊に改められたものと考えられます。
昭和58年3月31日
墨田区登録有形文化財(歴史資料)に登録