◆九代目市川団十郎筆 「梅若塚」 木額◆

明治二十五年(一八九二)

木母寺蔵

 

木母寺の再興を支援したといわれる九代目市川団十郎の書による木額です。

この木額は、梅若堂内にありましたが、昭和二十年(一九四五)四月十五日の梅若忌の日に、梅若堂が米軍の爆弾を至近に受けた際、破片が堂内を貫通し、損傷しました。木額の裏には、貫通した爆弾の跡とともに、当時の住職、真泉光隆によって空襲の様子が記されています。

 

(裏面)

昭和二十年四月十三日、戦災により当寺堂宇炎上、ただこの額を掲げてあった梅若塚拝殿のみ難を免がれました。

然るに翌々十五日再び空襲を受け、小型爆弾数箇所落下、拝殿並に境内の大小石碑を破損しました。

この額も面上二箇所にその痕をとどめています。

昭和二十六年四月十五日復興梅若忌にあたり誌します。

 中興第五世 光隆