木母寺に今も伝わる梅若伝説は、室町時代に作られた能「隅田川」(観世十郎元雅)の題材として、広く知られている伝説です。
梅若伝説は江戸時代になると、能だけでなく歌舞伎・浄瑠璃など様々な分野で取り上げられ、「隅田川物」という一つのジャンルを確立してきました。「隅田川物」は江戸の人々に大変親しまれ、その舞台となった隅田川の岸辺に文人墨客が訪れる大きなきっかけにもなりました。
また、近代以降も長唄や日本舞踊等で取り上げられるほか、イギリスの音楽家・ブリテンにより、能「隅田川」をもとにしたオペラが作曲されています。
さらに、今でも東北地方を中心に梅若伝説に関わる民俗行事や芸能が行われている地域があり、この伝説が、国内外を問わず広く伝承されていることがうかがえます。
◆梅若伝説とは◆
京都の貴族の子である梅若丸が、人買にさらわれ、連れ回された後に、隅田川のほとりで亡くなりました。
そこに居合わせた高僧が、梅若丸の供養のために柳の木を植えて塚を築きました。梅若丸の死後1年が経ち、息子を捜し求めていた梅若丸の母親が、塚の前で念仏を唱えると、そこに梅若丸の亡霊が現れ、悲しみの対面を果たした。という伝説です。なお、伝説に登場する塚は、梅若塚として、現在、木母寺内に再現されています。
塚から現れた梅若丸の亡霊と対面する母親